石の上にも三年は正しい?「はじめる、続ける、辞める」練習の大事さについて

ひさしぶりに素敵な記事を見つけました。
なんでこのテーマを記事にしていなかったのかと悔やんでいます笑
というのも、私自身、まさにこの「辞めてはいけない呪縛」の中を生きてきたからです。
好きな言葉は石の上にも三年
昔から親に「石の上にも3年」と言われ、実際に習い事で3年以内に辞めたものはなかったです。
それが美徳で正解で、辞める人=逃げる人、くらいの教育を受けてきました。
なまじっか器用な方なのでどれもそれなりにこなしましたし、親に感謝している部分の方が大きいです。
しかし、そんな私でも辞める訓練は超大事だと思います。
理由は単純。
辞められないのは辛いから。
以前に金持ちコンビニオーナーと貧乏コンビニオーナーという記事で、私がコンビニオーナーになりたくない理由として「辞められないから」というのを挙げました。
辞められない環境はどんなものでも危険です。
そして、辞める練習をしていないと、辞められる環境なのに本人の思い込みで辞められなくなってしまいます。
考えが変わった3つの出来事
継続が美徳と思っていたのに考えが変わった出来事としては大きく3つあります。
- 意地でも仕事を辞めない友達
- 仕事を続けられないのは本人の忍耐が足らないからと信じている友達
- 最初の会社を辞めたこと
1.意地でも会社を辞めないA君
新卒→就職をしたA君は15年経った今も転職せずに仕事を頑張っています。
もちろん素晴らしいことです。
しかし、何度も心療内科にお世話になり、拘束時間も長く、それもあってか結婚願望があるのに今なお独身です。
友として辞めることを勧めるのですが、頑として首を縦に振りません。
聞けば親が「そこ以上にいい会社なんてないんだから絶対に辞めるな」「お前なんかは転職できない」と言われ、すっかりそういうものなのかと思っているそうです。
そして、親御さんも新卒→就職で転職経験がないそうです。
悲しいかな、やめる練習を親子でしておらず、「やめてはいけない呪縛」に親子でかかっていたら、もう簡単には踏ん切りがつけられません。
2.仕事を続けられないのは本人の忍耐が足らないからと信じているB子
大企業に就職し素晴らしい労働環境、福利厚生の中で働くB子は誰かが「仕事を辞めた」というと毎回同じことを言います。
「最低でも3年はやらないとだめじゃない!そんなんじゃどこにいっても続かないわよ!」
辞めた理由も聞かずにB子は捲し立てました。
人間誰しも自分の周りが自分の世界になるものです。
素晴らしい待遇のB子からすれば自分の仕事が世界の標準ですから、ある意味では自然な意見です。
「男性と付き合ったら最低でも3年は付き合わないとダメ」と言われたらB子も「それは違う」となるはずです。
しかし、自分が辞めたことのないものを誰かが辞めたと聞くと「ありえない」になってしまいます。
3.最初の会社を辞めたこと
私は最初に正社員採用された会社を3ヶ月で辞めました。
石の上にも三年と思っていたにもかかわらずです。
簡単に言えば「自分の努力だけではどうにもならないことがある」ということを痛感したからです。
これは逃げでも負けでもない。
辞めるのが自然だと。
それから10年以上たった今思うのは「なんで3ヶ月もかかってしまったんだろう」ということです。
辞めることは逃げることではない、とわかっていればもっと早く辞めれたはずでした。
前述のB子など、続けることが美徳と思っている人達はそこまでの体験をせずに過ごせたラッキーな人ではないでしょうか。
以前に書いた不機嫌なおじさんなんかは私の中では典型的な例ですが、それはそれで羨ましい限りです。
人それぞれに異なる得意分野
冒頭で紹介したリンクの記事は「辞める練習」について特化していますが、何かに取り組むときに3つの行動がされます。
- はじめる
- 続ける
- 辞める
どれが得意かは人により分かれます。
- 新しいことをはじめるのが苦手な人→結果的に、今やっていることを続ける
- 続けるのが苦手な人→結果的に、はじめる+やめるが得意になる
- 辞めるのが苦手な人→結果的に、不本意でも続ける
上記の点を踏まえると、結果的に「一番得意なのは続けること」という人が一番多くなるでしょう。
そして、人間誰しも自分の人生は良いものだも思いたいですから「続ける=良いこと」という意見が強くなります。
続けることが美徳と思う人が多数になり、仕事や学校などを辞めたとなると理由も聞かずにそれだけでアウト!となりがちです。
反対に、続けるのが苦手な人というのは、はじめる+辞めるが得意です。
でも、「はじめる+辞めるが得意な人」は別に続けるという選択肢がないわけではありません。
- はじめた→楽しいから続けた(辞める選択肢もある)
- はじめた→楽しくないから辞めた→またはじめた→楽しいから続けた(辞める選択肢もある)
こうして考えてみると、はじめる、続ける、辞める、をそれぞれに幼いときにトレーニングしておけば、自分にとってより良いものを選択し続けられるのではないでしょうか。
まとめ
- はじめる、続ける、辞める、を子供のうちから練習しておくと、自分にとってより良い選択をし続けられるようになる
・・・まぁ、不機嫌なおじさんのように、強力な意思を持って「はじめる」ことも「辞める」こともなく、なんとなく目の前にあることを楽しみながら「続けて」いたらトントン拍子でコトが運び、いい人生でした!と言って人生が終われるのがベストのように思いますが笑、そうもいかないことが人生で起こったときに対処できない人になってしまわないようにしたいものです。
──余談として──
石の上にも三年は「冷たい石でも三年間座り続ければ暖まることから転じて、何事にも忍耐強さが大切だということ」という意味ですが、「冷たい石をわざわざ持ち上げて暖め続けるような徒労感満載のやりかたを続けること(座ってあたためればいいだろ!自分の場所を変えろよという突っ込み含む)」を「石の下で三年」と言いませんか?笑
石の上にも三年の対極の言葉として。
- 使用例:「君がやっていることは、石の上にも三年ではなく、石の下で三年だ。石の上だって忍耐が必要だが、君の状況は常軌を逸している。それに早く気付いてほしい」
「石の上にも三年」を妄信しているせいで苦しんでいる人達が自分の現況を見つめなおすいいチャンスになる言葉になるのでは?と思います。