電車で見かけた自己満足の正義感

電車内にイカれた女(?)が登場!
電車に乗っていたときのこと。
満員ではないけれど、つり革が全て埋まるくらいの混み具合で、車両の後ろの方で立っていました。
すると、車両の前の方から大きな泣き声が聞こえてきました。
目を向けると、声の主は1歳くらいの男の子で、若いママが抱っこしながらよしよしとなだめていましたが、それはそれは元気な声を張り上げていました。
元気な子だなぁ、お母さんは困っちゃうよなぁ、と思いつつもそれ以上は視線を送らずに過ごしていました。
車両にいる全員がおおよそ私と同じリアクションをしてました。
すると!
私のすぐ後ろにいた30歳前後の女性が「ちょっとすみません!」と道を開けるように即しました。
なんとなく前に傾き道を作ると、そのままつり革に捕まる人達が背中合わせで並ぶ隙間を「ちょっといいですか」と、どんどん泣き声の方へ歩いていきました。
やばい。。
車両に大きな緊張が走りました。
イカれた女が「ガキがうるせえんだよ!!」とキレに行ったわけです。
車両の視線がイカれた女に集まります。
子供を抱っこしたママの顔には戦慄がはしり、泣きそうです。
どんどん、ママ&子供との距離が縮まっていきます。
誰かあの女を止めてくれ!!!
車両の多くの方がそう思ったでしょう。
しかし、その願いも空しくママと子供の目の前に女が立ちました。
ママは恐怖で顔が引きつっていました。
車両の全員がそちらに視線を送らずにいられませんでした。
すると!
「ぼく~、元気だね~!」
と、それはそれは優しい声と優しい笑顔を見せました。
緊張で張りつめた車両に一気に緩和がおとずれました。
ふ~、と小さく深呼吸をしている人が私以外にもいました笑
ママも安心した笑顔で「大きな声ですみません」と応え、「いえいえ、元気な子でいいですよね?ねぇ?」と周りの人も軽く巻き込み、ママと子供の周りに笑顔が溢れました。
子供はそれでも泣き止みませんでしたが、その女の人が駆け寄ったことで、空気が良くなりました。
一応は、めでたしめでたしと終わり、私もほっとしました。
自己満足の正義感
さて、この女性のとった行動は良かったでしょうか?
率直に言って私は「自己満足の正義感」に見えました。
先に言うと、その女性は人間性は良い人だと思います。
勇気を出して人助けに行っているわけですから。
ただ、身一つで被災地にきて「ボランティアに来た」という人達と同じで、善意は正しいけれど、行為を間違えています。小さな親切、大きなお世話とも言えます。
このケースの場合、もしそれをやるなら泣く子供を一瞬で静かにさせる能力がなければいけません。
ママは公共の場で多くの方に迷惑をかけているんじゃないかと焦っていたわけで、できれば「他の人と同じ状態」でいたいわけです。
他の人と同じ状態というのは誰からも何も思われていない、視線が集まることもない状態です。
子供が泣いたことによりその状態は壊されました。
私を含め多くの人がママを「他の人と同じ状態にするため」に視線を送らずに何事もなかったように過ごしていたわけです。
ところが結果的に「視線を集めに」女性がやってきたわけです。
その女性はたまたま周りを巻き込んだのでまだ良かったです。
プラスの面ができましたから。
もし、そのママが「どうもありがとうございます」と言い、子供が泣きっぱなしで周りはただそれを見て見ぬふりをしなくてはいけないのだったらやらない方がマシです。
ではこの女性はどうしたらよかったのでしょう?
私が思う模範解答は、
視線を送らずに自然にしている(特になにもしない)
です。
冷たいでしょうか?
ただ放っておくことが優しい場合もあると思います。特にこのケースの場合は。
でももっといい対応がありますね。
次の駅で後部の扉から降りて、前部の(ママと子供のいる)車両の扉から入って「元気な子ですね~」と笑顔にする
そうしたら車両の皆さんの視線はママと子供に集まらないですし、よほどのことがないかぎり「今乗って来た人」になれます。
「すぐやらず」に「考慮する」大切さ
「すぐやる!」という本も出ているくらいとにかく素早く行動に移すことが美徳とされがちですが、やはり物事を考慮することは大事です。
さきほどのボランティアの例で言えば、テレビで事件を見て感情的にいきなり身一つで行かずに、どうしたら本当に役立てるかを考えて、役に立てなそうなら辞めることも大事です。
もし、いてもたってもいられない、助けに行きたい、と思うのなら「滞在期間中の自分達分の食糧とテント等を持って(迷惑をかけずに)ボランティアに参加」しないと意味がありません。
2010年にチリで33人が閉じ込められた「コピアポ鉱山落盤事故」では、世界中から身一つで来たボランティア希望者がたくさんいて、実際にできることは何もなく、現地ではその人たちへの炊き出しなどで余計に仕事が増えたらしいですが、これも正しい善意と間違った行為ですね。
この件について、調べたら「モンスターボランティア」という言葉があるんですね。知りませんでした!
確かに多いだろうな。思い出づくりと間違えた輩がたくさん来そう。
「モンスター被災者」もいるんですね。
ここでは書きませんが調べるとなんだかすごいな。。。笑
・・・ちなみに災害などの時に、一番役立てる行為は募金だと私は思います。
最後に
冒頭の女性は「子供が泣いてママが困っている!自分になにができるか?」という自己問答の末「近くにいって励まそう!」となったんでしょうけれど、素晴らしい善意も、無計画で無神経だと、結果的「人間性は良いけれど迷惑な人」になってしまいます。
どれだけそこに正義感があっても、そこには受け取る相手がいて、その方にとってプラスにならないならやらない方が良いですからね。
とはいえ、
ああいう方の勇気と行動力だけは見習いたいものです。
・・・この記事は電車でかいていますが、たった今、立っていたらほとんど人がある駅で降りたので、座りました。(立っていたい方ですが自分だけが立っているのは嫌なんで/笑)
すると、小学生くらいの女の子がフリーペーパーをもってきて何かを呟いて渡してくれました。
イヤホンをしていたのでうまく聞き取れずイヤホンを外して「これは・・・?」と聞いたら「落としてませんか?」と。
どうやら鞄と一緒に滑り落ちたもののようでしたが、音楽を聞いていたせいで気がつかずにいました。
「あ、私のじゃないですよ」
「そうでしたか。すみません」
そう言うとその子はもとのところに戻り座りました。
素晴らしいなぁ、良い子だなぁと感心しました。
これは自己満足の正義感ではないですからね。
が、
少ししてから「私のじゃないけど、教えてくれてありがとう」と言えば良かったと悔やみました。
「人に優しくしても面倒くさがられるだけ。周りから変な注目までされるし。もうやらない」とならないことを願うばかりです。反省。