谷岡郁子(至学館学長)さんの記者会見は「忖度される側」の極地だった
先日、谷岡郁子(至学館学長)さんのパワハラ記者会見が話題になりました。
私も見ましたが、思わず固まってしまいました。
「こ、これは、、いかん。。。」
谷岡さん、ご家族、至学館までもろとも全員が吹っ飛んで消えてしまうような恐怖感に襲われて、関係者でもなんでもない私が焦ってしまいました笑
それくらいのインパクトがあり、案の定、炎上したわけですが、この件について秀逸な記事がこちらでした。
引用元:文春オンライン
要点を挙げます。
■「自分がどう見えるのか」、「発言がどう受け取られるのか」に注意を向けていなかった
■学長としての長いキャリア、政治家としての経験、日本レスリング協会副会長という立場から、誰もが自分の話を聞き、忖度されるという環境があったのだろう。でも会見は、組織内での発言や講演とは性質が違う。学長はそこに気がつかず、いつも通りマイクの前に座ったのかもしれない。
■「怒りは沸点に達した」と発言した谷岡学長は、その怒りを冒頭から露わにした。公の場であれだけ怒りを露わにできるのは、日常的に人前で感情を露わにしているからであり、マイナス感情をぶちまけても、ぶつけても批判されない立場、許される立場にいるというイメージを与える。
■伊調選手の道場の使用についても、「私が使わせると言えば、いつでも使うことができる」と語気を強めたのも、自分が圧力をかけ、命令することができる立場を強調したにすぎない。パワーを持っているのは栄氏ではなく自分なのだと示したかったのだろう。自分を認めさせたいという欲求が、そこから垣間見える。権力や地位を持つ人間がそれを誇示すると、支配欲と高慢さだけが際立ってくる。結果、学長からは部下を擁護しよう、守ろうという姿勢が見えなくなった。
■言葉使いも否定や決めつけが多いため、思い込みが強く、意見を押し付けるタイプだと思われる。語ったエピソードも「私が」と自分中心のことが多く、すべてに自分を優先させている印象だ。パワハラに対する調査も行わずにそれを頭から否定したことからも、論理より感情を優先させ、事実を見ずに自分の思い込みで判断を下すリーダーとみなされる。そんなリーダーが組織を率いる場面を想像すれば、自ずと組織自体に対するマイナスイメージも膨らんでくるというものだ。組織を代表して会見を行うなら、内容だけでなく、表現にも気を使わねばならない。
■謝罪会見などではマニュアルが作成され、政治家などにもメディアトレーニングが行われるのはそのためだ。感情的にならず冷静に落ち着いて、言葉使いには気をつけ丁寧に、手や身体の動きや表情に注意する。リスク・マネジメントが必要な局面は突然やってくる。そんなとき、谷岡学長を他山の石として、「見られている」感覚を忘れてはならない。
着眼点といい、まとめ方といい、秀逸な記事でした。
確かに企業や芸能人など人前で会見をする方は、会見前に勉強教材として見るものになりそうです。
忖度する側・される側
そんな中で特に私が注目した表現が
- 論理より感情を優先させ、事実を見ずに自分の思い込みで判断を下すリーダー
- 忖度される側
の2点。
どちらもものすごくしっくりくるというか、まさにあの会見から受ける谷岡さんの印象を上手に言語化されているように感じました。
特に「忖度される側」についてはなるほどなぁと、妙に納得してしまいました。
力を得て、周りがひれ伏していき、だんだん自分の思った通りに周囲が動いてくれるものと思うようになり、自分のやっていることを客観的に見れなくなり(見る必要もなくなり)、主観のみで行動するようになった。
というところでしょうか。
でも、ニュースを見ているとそういう人が結構います。
一連の報道の時の松居一代さんや、ヤクザの親分のような服を着た貴乃花親方とかは「自分のことを客観的に見れてない人」としては日本代表レベルじゃないでしょうか笑
私の身近の少ないデータですが、中小企業の社長、バイト内でのバイトリーダーもこのタイプが多いです。
家庭内でのお父さん・お母さん、クラス内でのリア充、部活内での部長、仕事のチームリーダーなど、該当する人は結構いるのではないでしょうか。
か弱い女の私は忖度される側?
上記の方々は「人の上に立ったから」が理由ですが、それとは別で女性特有のものもあるように感じます。
失礼ながら女性の場合「か弱い女の私が」という思いもあって、すぐさま「私は忖度される側だ」となり高慢になる方は多いです。
これは男性への期待値が異様に高い婚活女性にも同じことが言えます。
特に美人だと「か弱く美しい女の私」になりますから「あなた達(特に部下の男性)が私に忖度しないとだめだろうが」と相手の気持ちへの配慮は益々なくなります。(※レスリング界もおそらくは男性社会なのではないでしょうか)
そこそこ美人で、部下の男性に異様に厳しい人ほど、中身が超乙女なのも「私は忖度される側だ!(美しいヒロインだ!)」という思いがあるからなんでしょう。
※大体、会社に1人はいますよね笑
どれだけ相手(部下の男性)に罵声を吐いても「私は上司だ」という思いと、プラスアルファで「“か弱く美しい女”の私は殴られない」という巨大な安心感がありますから、本能的なブレーキはかからずバンバンひどいことを言えてしまいますし、結果的にものすごいパワハラに繋がってしまいます。
それが慣習化して麻痺したら、誰かを忖度することもなければ、そんな自分を俯瞰してみることも難しいでしょう。
今回の会見はその意味で「忖度される側の極地の人」が見れた貴重な会見でした。
しかし!!
根は超乙女でしょうから、今の心理状況はどんなでしょう。
ちょっと心配になります。
「みんな私のことを誤解しているの」とシクシク泣いてヒロイン継続中ならまだ良いですが、多分ここまで仕上がった人の場合は一筋縄ではいかないでしょうから、どういう心境で、周囲にどんな対応をしているのかとても気になります。
野次馬として見守っていきたいですが、松居一代さんのようにならないことを願うばかりです笑
多分、悪い人ではないと思うので。。。