舌打ちピエロ

5分で読める超短編小説です

第1部

色とりどりの行き交う傘を眺めながら、百合子はコーヒーをすすった。

オフィス街の一角にひっそりと佇むこのなじみの喫茶店は、時間が止まっているかのように今日も静かで気持ちが落ち着く。

仕事の後でいくらか疲れているが、温かいコーヒーの旨さが一段と体に沁みわたった。

そろそろ美樹が来る頃かと、百合子は腕時計に目をやった。

約束の18時からもう10分以上過ぎているが、美樹からの連絡は一向にない。

遅刻癖のある美樹のことだからさほど気にはしていない。

しかし、今日は次にも予定があるため早く来てほしい気持ちが強い。

「出来る人は遅刻をしない。するとしても遅れることを事前に連絡する」と1か月前の合コンで、男性陣が遅刻をしたことを挙げて美樹が話していたことを百合子はふと思い出した。

これでは自分は出来ない女だと言っているようなものだと、百合子は軽く舌打ちをした。

 

百合子と美樹は高校時代の同級生で、お互い29歳になった今もこうして時々、2人で会っている。

20代になりたての頃は女子向けのイタリアンレストランなどを選んでいたが、最近はすっかり安い居酒屋が定番になった。

しかし今日は美樹もこの次に予定があるという。

だからこうして、会社近くの喫茶店を選んだ。

 

「カランカラン」

入口のドアから音が鳴った。

「ごめん!待った?」

百合子が右後ろに振り返ると、焦る様子もなく凛とした佇まいの美樹が視線を下ろしていた。

「さっき来たところだよ」

その答えに返事をすることなく、美樹はブランド物のきれいな傘を丁寧にビニールへ入れてテーブルにかけると、向かいの席に座った。

艶のある少し茶色に染まった長い髪を左手で束ねて、ハンカチで雨の滴をふき取る仕草は、女性の百合子が見ても色気があった。

「ブレンドを1つ」

水を持ってきた店員に注文を告げると、美樹の放つ甘い香りが席を包んだ。

視線を百合子に送り、少しはにかみながら美樹は言った。

「遅れてごめんね」

 

百合子にとって、美樹はかけがえのない友達だ。

しかし、いつの頃からか、美樹に対して嫉妬心が生まれていたことを百合子自身が気が付いていた。

同じような環境で同じように育ってきたが、美樹は誰もが知っている有名国立大学で華々しいキャンパスライフを送り、卒業後は外資系の大手企業に入社した。

今では同年代の男性よりもはるかに収入の多いキャリアウーマンとなった。

才色兼備という言葉が似合う大人の女性になったが、百合子と会う時は高校時代と変わらない美樹のままだった。

しかし、美樹から定期的に聞く華やかな近況報告は少しずつ距離を感じるようになったいた。

そんなことは全く知る由もなく、美樹はいつもの様に近況を矢継ぎ早に話し始めた。

不景気の煽りを受けて中国の支社が潰れそうなこと、円高の影響で保有している株が上がったこと、会社の仲間と沖縄旅行に行ったこと。

零細企業で事務をしている百合子には、どれも縁のない話ばかりだった。

それなりに毎日を謳歌しているつもりでも、差を見せつけられているように感じてしまい、気分が暗くなった。

もちろん、それが美樹の日常であり、嫌味を言っているわけではないことはわかってはいるのだが。

「ところでさ、この前の人達とは連絡取ってる?」

ミルクがたっぷりと入ったブレンドコーヒーをすすりながら、唐突に美樹が言った。

この前の人達というのは、1か月前に開いた合コンの相手だということがすぐに分かった。

その日の合コンは、美樹と、美樹の取引先の和也という人が主催をして行われた。

美樹は初めから和也に狙いを定めていて、言わば美樹が和也に接近するために開催されたようなものだった。

「2人で会えばいいじゃない」

百合子はそう言ったのだが、話の流れで合コンになったからと頼まれ、仕方なく参加をした。

男2人、女2人、銀座の洒落たダイニングバーの個室で2時間ほど過ごした。

この日の美樹はいつも以上に派手なメイクで笑顔を振りまき、いつになく気遣いのできる女になっていた。

その視線はいつも和也にあり、美樹が合コンを開いた意図は、誰が見ても一目瞭然だった。

「・・・連絡してるよ。」

「え?誰と?」

「康弘さんに決まってるじゃん」

「そうなんだ。結構連絡取ってるの?」

「まあ、ちょっとだけ、かな。」

「そっか。いい感じになりそうじゃん。」

「いい感じって言っても、私はだって・・・別に・・・」

「いいじゃん。たまにはドキドキするのも」

「たまには?」と心の中で復唱をしたが、その言葉を飲み込んだ。

「食事にでも行けばいいのに」

「私は美樹と和也さんの出会いを手伝っただけだし。そういうわけにもいかないよ」

そう口にした後、美樹の目の光がいつもと違うのを百合子は見逃さなかった。

確かめるように、百合子が聞いた。

「美樹はどうなの?和也さんと連絡とってる?」

「うーん。同じくそれなりに・・かな」

「うまくいきそうなの?」

百合子が問いだたすと、美樹は薄い笑みを浮かべた。

第2部

雨の日の電車は濡れた傘でいつもより窮屈だ。その上湿度も高い。

だが、この苛立ちは雨のせいだけではない。つい先ほど聞いた、美樹の話のせいに違いなかった。

あの日の合コンは美樹が和也と親しくなりたいから、という名目で開催された。

会話も弾み、全員で連絡先を交換した楽しいものだったが、百合子が楽しいと感じたのは、それだけではなかった。

和也が連れてきた康弘という男がなかなかの美男子で、合コンの日から毎日のようにとりとめのないメールのやりとりを続けていたからだ。

「仕事が落ち着いたら食事にでも」と誘われたこともあり、いずれは会うことになるだろうという自信があったし、何より連絡が毎日のようにくることが嬉しかった。

しかも美樹がお目当てにしていた和也からも百合子に連絡がきて、こちらは具体的に日時を挙げて食事に誘われていた。

美樹の手前、適当な理由をつけて断っていたが、誘いは2度、3度と続いた。

その上、和也は「美樹から毎日メールがきてウザい」と愚痴をこぼすこともあり、自分が美樹に勝っているという状況が、百合子をよりいい気分にさせていた。

美樹の誘いを断る和也からの誘いを受け続け、康弘からの誘いを待つ1ヶ月の間、百合子は幸福感に満ちていた。

そんな中、先ほどの喫茶店での美樹からの告白は、そんな満ち足りた百合子の気持ちを一瞬で墜落させるものだった。

当初、目当てにしていた和也よりもあの日初めて会った康弘の方が気になると言い出したのだ。

和也と康弘は兄弟会社に勤務し、勤務先こそ違うが同じ30歳の同期ということで親しくなった仲だ。

同じような仕事をし、収入も大差がないと本人達が笑いながら説明してくれたがが、二人とも誰からも好かれそうな雰囲気を持ったとても感じがいい人達だった。

1つ違うのは康弘の方が鼻筋の通った美男子で、和也はどちらかと言えばふくよかな優しい印象の持ち主だった。

美樹は和也のそこに惹かれたとだと思っていたが、「康弘さんの方がかっこいいから」という理由で、狙いを康弘に定めているということだった。

それだけなら百合子も納得できた。

しかし、美樹はすでに康弘に誘われて食事に行き、それなりにいい雰囲気になっているらしかった。

百合子には仕事を理由に誘ってこないのに、だ。

この話を美樹から聞いている間、平静を保てていたか百合子は自信がない。

1ヶ月間、浮かれていただけだったことを突き付けられたからだ。

そして美樹は和也にはある程度自分に気をもたせた方が仕事上都合がいいという理由で、メールを何日か続けて送ったと屈託なく言った。

それを聞いて「美樹が2番手と据えた和也」への興味が急速に落ちていくのを百合子は自覚した。

大袈裟に言えば美樹が要らなくなったものを拾うような真似をしたくないからだ。

常日頃の嫉妬心がここで大きな力を持っていることを百合子は認めざるを得なかった。

そんな男に食事に誘われて浮かれていた自分を嫌悪し、康弘といい雰囲気になっている美樹に苛立った。

─結局、すべてが美樹の思い通りに進んでいる─

百合子の中でやり場のない怒りが込み上げ、電車のアナウンスにも耳を塞ぎたくなる気分だった。

美樹は何も悪いことをしていない。当然、和也も康弘も何も悪いことをしていない。

この年齢になればある程度の仕事のお付き合いの連絡はあるということも、合コンで相手の女性の複数に連絡する男がいても不思議ではないことは百合子もわかっている。

誰も悪いことはしていない。

だからこそ百合子は歯ぎしりをしたくなるような憤りを覚えた。

 

目的の駅に着くと雨はやんでいた。

いつものコンビニに入り雑誌を読みながら百合子は時間を潰した。

康弘といい雰囲気になっているならもっと早く言ってくれればいいのにと、先ほどの気持ちが甦り、雑誌の記事の内容などまったく頭に入らなかった。

「これから康弘さんと会うから」

去り際に見せた美樹の満面の笑みが思い出された。

百合子に顛末を話し、すっきりした笑みにも見えた。

康弘と会う時間までの暇潰し。

そんな時間に付き合っていた自分。

なんと滑稽なことか─。

その時、今週封切りをする外国映画の記事で目が止まった。

主人公の2枚目俳優扮するピエロが客を笑わせようと傘を持っておどける写真だった。

「あたしはピエロか」

百合子は心の中で呟いたあとで自嘲気味に笑った。

 

「ごめん待った?」

右後ろを振り返ると誕生日にプレゼントしたブルガリの優しいダージリンの匂いが香った。

「私も今きたところ」

「よかった。じゃあ行こうか」

手にしていた雑誌を元の場所に戻すと、剛は百合子の手を引いた。

「あれ?どうかした?」

一瞬、表情が強張ったことを剛は見逃さなかった。

交際期間2年、結婚して半年、合計2年半も連れ添っているのに百合子のちょっとした変化にもちゃんと気がつく剛は本当にいい男だ。

結婚しても自分の小さな変化を気づいてもらえる喜びは独身の美樹にはわかるまい。

「ううん、なんでもない」

「なんか疲れているように見えるけど」

「さっきまで友達といたんだけど、恋愛相談みたいになったからかも」

「どんな内容?」

「好きな人が同時2人現れて、最初は2番だった人が1番になった、みたいな話」

「へー、面白そうだね。で、何てアドバイスしたの」

「人を好きになる時は普通は1人だけで、2番も3番もないでしょって。欲張るなって話よね」

「あはは!欲張りはよくないね」

「彼氏を2人つくろうとしているように感じたからきつく言ってやったわよ」

「百合子はその子の気持ちわかる?」

「わからないよ。私は好きじゃない人とはメールをするのも億劫だもん」

「おれにもあんまりしてくれないもんな」

「これでも私にしてはちゃんと送っている方だって」

 

コンビニを出るとまたパラパラと雨が降ってきた。

しばらくは降ったり止んだりが続くだろう。

「また降ってきちゃったな~」

百合子の右隣から剛の呑気な声が曇天の空に溶けていった。

美樹は今頃、康弘と会っているのだろう。

どんな店に行っているのだろう?

どんな会話をしているのだろう?

私のことも話題にされるのだろう─。

「傘、持ってる?」

「うん。ちょっと待ってね」

剛の明るい声のトーンに自分の声を合わせた。

傘立てに乱暴に突き刺さった傘を握る手に力が入った。

百合子は誰にも聞こえない小さな音で舌打ちをした。

 

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